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セミ・チャイナ 英国陶器の黎明と発展 | キヤアンティークス
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セミ・チャイナ 英国陶器の黎明と発展

イギリスで19世紀に作られた陶器のお皿。

イングリッシュ・デルフトと呼ばれる、ストーンウェア(炻器/せっき)に釉薬をかけて焼き上げる陶器の一種がルーツです。

イギリス磁器の代名詞である「ボーン・チャイナ」。

骨粉を添加して生み出された事から骨灰磁器=骨(ボーン)+磁器(チャイナ)と名付けられた、堅牢で美しい半透明の素地を保つ白色磁器です。

今でこそイギリスを代表する磁器として親しまれていますが、その誕生には中国製の高品質な陶磁器の自国生産を目指した、職人達の試行錯誤がありました。

※「チャイナ」という言葉は英語で中国一帯を示す名詞ですが、イギリスでは磁器全般を指す言葉でもあります。

15~16世紀、最初にヨーロッパへと持ち込まれた中国磁器は中東やオスマン・トルコほか東ヨーロッパ諸国の王侯貴族によって珍重され、もっぱら「驚異の部屋」(美術・芸術品や異国の産物、標本などを飾るコレクションルームのこと)に飾られるだけで、庶民の目に触れることはありませんでした。

それまシルクロードを介して中国からヨーロッパへ細々と輸入されていた中国磁器が西欧で広く知られる契機となったのは、西ヨーロッパの海洋国家が外海を通る海洋航路を開拓し、東方に交易拠点を設けることに成功した17世紀初頭のことです。

17世紀を通してオランダやイギリスの各東インド会社を初めとする国営企業によって大規模な航路が開かれると、東西拠点間の商業貿易が一層盛んになり、東国の織り物や絹と共に陶磁器製の食器や茶器が富裕層の間に浸透していきます。

このとき中国原産の乾燥茶葉も一緒にヨーロッパに流入し、イギリス人富裕層の間で嗜まれる様になります。

こうして最終的には19世紀、インドを産地とした茶葉の大規模栽培が本格化した結果として乾燥茶葉の価格が下がり、イギリスの中産階級や庶民層の間でも紅茶が飲まれるようになりました。

しかし、もともと英国に存在しなかった茶葉。つまり当時のイギリスに茶葉はあれども、これを飲むための道具はありませんでした。

こうして、喫茶文化と不可分であるところの茶器類・・・つまり耐熱性能の高い白色陶磁器の需要がイギリス国内で急速に高まります。

※画像はウェッジウッド社のジャスパー・ウェア。ボーン・チャイナではありません。

 

そういった経緯から中国磁器(チャイナ)の自国生産を果たす為にイギリスの科学者達が試行錯誤を重ね、18世紀にイギリスの科学者ジョサイア・ウェッジウッドらによって生み出された初の英国産磁器がボーン・チャイナです。

とはいえボーン・チャイナの誕生当時、従来の英国産陶器類とは一線を画すような透き通る程に白い磁器の材料費と生産コストはかなり高額で、それらを手にすることが出来るのは裕福な人たちだけでした。

当然、インドで大量生産されていた茶葉と比べると遙かに高額だったため一式揃えるとなれば庶民には到底手が出せません。

そんな中、民間の工房が生み出したのが「セミ・チャイナ」。

※19世紀初頭ミントン社製「セミ・チャイナ」のボウル。Italian Ruinパターン。

ストーンウェアに白色釉をかけた従来の陶器、いわゆるイングリッシュ・デルフトと構造上は同様の造りなのですが、素地の成分や焼成方法を工夫し、従前より頑丈で骨灰磁器よりは安価な製品として考案されました。

※ヴィクトリア朝期に造られたホットプレート。ストーンウェアの上から白色釉薬を乗せ、印判でデイジーが転写されています。表面の白色釉が欠け、内部にある練りの効いた炻器素地が確認出来ます。

 

しかしこの「セミ・チャイナ」、陶磁器の一種として扱うには明確な定義が存在せず、また従来の陶器類と分類できるほどの技術革新が用いられているでもなく、どちらかと言えば”より丈夫な陶器”としての差別化を意図して銘打たれたブランドネームとしての意味合いが強かったようです。

19世紀末期ウッド・アンド・サンズ社製のカップ&ソーサー。

19世紀前期リッジウェイ社製、”ワンポア(黄埔)”パターンのプレート。フロー・ブルー(滲んだ青)の逸品。

19世紀イギリス製、ウィローパターンのオーバルプレート。横幅が40cm程あり、飾り皿として抜群の存在感。

チャールズ・メイ・アンド・サン社製プレート。青みがかった”インプルーブド・フェルドスパー”(改良長石)製品。

 

いかがでしょう。 以外とバリエーション豊かじゃありませんか?

このようにブランディングや広告戦略が反映された折衷的なバリエーションの製品が現存しているという事はつまり、それだけ19世紀当時の陶磁器市場が活発であり貧富を問わず様々な人々の需要で成り立っていた事実の”あらわれ”だと云って良いでしょう。

こうして庶民にも喫茶を嗜む文化的素地がイギリス国内で育まれ、培われた技術と人材、商圏によって19世紀から20世紀に掛けて英国陶磁器産業は絶頂期と衰退を迎えることとなりました。

掲載商品は横浜店とオンラインショップで販売中。
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